【茅葺職人インタビュー】 相良育弥さん(株式会社くさかんむり)

相良育弥(さがらいくや)
【PROFILE】
株式会社くさかんむり代表。兵庫県神戸市北区淡河町を拠点に、民家から文化財まで幅広く手掛ける茅葺き職人。茅葺きを今にフィットさせる活動に精力的に取り組む。 「LOEWE FOUNDATIION」2023年ファイナリスト。元DJ。

HipHopに学ぶ、茅葺き職人として大切にしたいこと。

茅葺きに出会う以前、20代前半の僕は、10代の頃から傾倒していたHipHopのDJをしていました。当時のHipHopは、社会に対する不満を抱えた僕ら世代の1つの受け皿になっていたように思います。初めてクラブに行った夜、それまで閉ざされていた自分の世界が打ち破られた感覚を、皮膚で、耳で、眼で、全身で体感しました。

一方、茅葺きは島国日本の湧き立つような自然と人が永い時間をともに過ごす中で培ってきたものです。互いに奪いすぎず、奪われすぎず、自然と人の絶妙な間合いのシンボルとして、茅葺きは地域固有の植物のように多種多様な美を見い出しながら、人という種の住処として今日まで続いてきました。

僕の中で青春の一部を捧げたHipHopと茅葺きは、ほとんどイコールです。そこには1人の人間として大切にしたいことが詰まっていて、茅葺き職人となった今もHipHopから学んだことは日々の行動指針となっています。今回はHipHopから学んだ“Old School”、“Respect”、“Fresh”という3つの視点で茅葺きを紐解いてみようと思います。

“Old School” _ 茅葺きは日常的な技術継承の場

HipHopの出自は、アメリカの不良たちのコミュニティから生まれたカルチャーです。すでにある楽曲、つまり“Old School”をベースに、コラージュするように新たな楽曲を作って行くものなので、大前提としてそれ以前に作られた楽曲なしには成り立たないジャンルの音楽です。茅葺きもまた先人から受け継ぐ技術や知恵が土台となり、葺くために必要な技術はほとんど“Old School”。具体的な屋根の葺き方に関するノウハウだけでなく、茅葺き屋根の下で囲炉裏を囲みながら、人々が継承してきた暮らし方まで含めて学ぶものが大きな世界です。

例えば、火を付けることは誰でもできますが、火を伏せる(消す)ことの方が圧倒的に難しいものです。火をコントロールして安全に収めるという技術を、茅葺きでは囲炉裏を囲んで、草原では野焼きで、それぞれが火の管理を学び、人は暖を取り、煮炊きをし、より良い資源を育み、暮らしやすい世界を築いてきました。今、普段の生活の中で火に触れる機会がある方はどれくらいいるでしょうか。人の暮らしを支えてきた火と人の関係性の希薄化は、現代人にとってひとつの課題だと思います。

現行の建築基準法に準じていけば、「燃えるから危ない」という理由で市街地で茅葺きは建てることができません。しかし、火を扱う技術をいかに継承していくかが、今後の茅葺きをはじめ、人という種が生き延びるための重要な課題だと感じます。そうした意味で現代における茅葺きは、古き良き過去でも、懐かしさの象徴でも無く、すでにずいぶん先で僕たち人間のことを待ってくれている存在なのです。

“Respect” _縁側で“わしら”世代から託されたもの

ベースとなる楽曲に対して、敬意(Respect)をもってサンプリングするのがHipHopの定説です。それは“学ぶ”の語源が“真似ぶ”であることからもわかるように、茅葺きに限らず人間の生命活動そのものが、そもそもサンプリングの連続です。ただそこに“Respect”がなければ、ただの作品の盗用のようになってしまい、新たに作られた楽曲にも説得力は生まれません。

今から十数年前、当時26歳だった僕が茅葺き職人になったばかりの頃。茅葺き屋根のお施主さんのほとんどは、おじいちゃんおばあちゃん。年齢で言えば80歳くらいの方ばかりでした。茅葺き屋根の仕事で毎日お宅に伺い、10時と15時の休憩では決まって縁側に腰掛けてお話を伺いました。

そこで僕はある共通点に気づきました。誰もが自分の話をする際に一人称複数形の「わしらは」から話を始めるのです。「わしらはこうやって生きてきた」「わしらはこう考えている」と語られる事柄は、まるで人類の1番初めの人に繋がっているような普遍性があります。縁側や田んぼの畦に腰掛けて、同じ方向を向きながら、お互いの日常が溶け合う。その瞬間にだけ、ぽつりぽつりと語られる本当の事は、刹那的な知識ではなく、もっと長い時間をかけて蓄積されてきた知恵に他なりません。

縁側は農村における営みの余白のような場所です。僕はそこで「わしら」世代の語る滋味深い知恵を授かる時間が、茅葺きの仕事と同じくらい好きです。僕にとって「わしら」世代は、現代にいながら直に触れることができる古代性の露頭のような、忘れられた地下水脈の湧出点のような存在です。そこに時折、触れたり思いを馳せたりする事が、自分自身を健やかに保つためのルーティンだったのだと思います。

気が付けば今では「わしら」世代にいただいた数えきれないほどの贈り物が、確かに僕の一部となっています。もう直接会って話をすることが叶わない方もいらっしゃいますが、ありがたいことに自分の内側に耳を澄ませば、いつでも出逢うことができます。だから僕は、大好きな「わしら」世代の延長線上に生きながら、縁側で受け取った有り余るギフトのお裾分けをしたい。縁側で過ごした時間が今の自分を支えてくれています。

“Fresh”  _進化する茅葺き、そしてまた原点へ

“Oldschool”と“Respect”を携えた先に作られるものは、常にその時代にしか生まれないような新鮮さを携えた“Fresh”なものでなければなりません。そこで、茅葺きにおける“Fresh”とは何かを探るために、ヨーロッパを中心にありとあらゆる新築の茅葺きの現場に足を運んでいた時期があります。今や国土の1%に満たない草原。日本から急速に姿を消しつつある状況は、新築の茅葺きが建っているヨーロッパでもさほど変わりません。

そのため、オランダやヨーロッパでは、茅葺きは今やステイタスの象徴です。中にはプラスチック製の茅を載せた茅葺きの模倣住宅まであります。それらは、ゴミとなるものが一切ない本来の茅葺き建築とは根本的に違います。茅葺きの存在をアピールする役割を担っていますが、茅葺きを通じて継承されてきた技術と知恵を無視した建築は、やはり茅葺き建築とは別物だろうと感じています。

茅葺きにおける“Fresh”の解釈は、デザインされたモダンな茅葺きに限らず、地域に根差した本来の茅葺きの中にも見出すことはできますし、茅というものの特性をよく理解した上で違った角度からアプローチすることもできると思っています。

自然の中ですっかり不自然な存在となった僕ら人間が、人以外の存在にも耳を傾け、自然の大きな生態系の中に積極的に参加した時にだけ立ち現れるものがあります。その最たる例が、人の手によって育まれた草原や茅葺きなのですが、僕はその人間らしい不自然さで、自然が自然のままでは到達する事が出来ない領域に連れていく役割を担う存在でありたい。自然と人間のお互いの言い分の、ちょうど真ん中には、美しさがあって欲しいと願っています。

(「LOEWE FOUNDATIION」2023年ファイナリストhttps://craftprize.loewe.com/ja/craftprize2024)

僕の残りの人生は、本当の意味での茅葺きをしっかりと後世に繋げてゆく為の活動に注力します。それはつまり、“Fresh”な茅葺きを常に発見しながらも“Old School”をDisrespectしつつ一層大事に扱う原点回帰とも言えます。HipHopと縁側から学んだことを反芻しながら、少しずつ上昇気流に乗っていければいい、そんな風に思っています。

株式会社 くさかんむり
https://kusa-kanmuri.jp/

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