杉水 公博さん

 定年を間近に控えたある日、同僚から野焼き支援ボランティアの研修に誘われた。定年後は特に当てもなく、まあどんなものか受けてみようという気になった。これがそもそもの始まり。そして、10年の月日が流れた。

 最初は慣れない作業で戸惑いの連続。時には山の頂上で2時間待たされたことも。また、ススキが濡れて火がつかないこともしばしば。ジェットシューターにあっては、先輩から「水はなるべく使うな」と言われ、必要のないと思えば消してと言われ、どうしたらいいのか悩んだことも。風に炎が煽られ山林に飛び火し、山火事になって消防車が駆けつけたこともあった。少ないときは5人、多いときは40人を超えるボランティアが集まる。牧野組合員とリーダーの指示が異なることもあった。これらも経験を重ねるに従い徐々に慣れたいった。

 野焼き支援ボランティアでは、団体行動を余儀なくされる。安全を第一に独自のルールに従うことが求められ、単独行動は許されない。多少のストレスを抱えながらも続けてこられたのは、その達成感と少しの使命感が大きい。これからも阿蘇の草原の姿が変わらないことを心から願っている。

(草原だより 82号より)